再び動き出す喜び:音楽がリハビリに寄り添い、父に笑顔をくれた物語
突然の脳梗塞、父と家族を襲った深い霧
私の父は、70代を迎えてすぐ、突然の脳梗塞で倒れました。幸い命に別状はありませんでしたが、右半身の麻痺と、言葉がスムーズに出にくいという言語障がいが残ってしまいました。もともと活発で、庭いじりや散歩を日課にしていた父の生活は一変し、車椅子での生活を余儀なくされました。
日を追うごとに、父の表情から笑顔が消えていくのが分かりました。リハビリテーション病院での訓練は受けていましたが、思うように体が動かせない苛立ちや、将来への不安からか、日に日に意欲を失っていったのです。「もういい…」と、訓練を途中で投げ出すことも増え、家族としても、どう声をかけ、どう励ませば良いのか分からず、深い霧の中にいるような気持ちでした。私も母も、ただ父の回復を願うばかりでした。
音楽療法との出会い
そんな折、友人が「音楽療法」という選択肢があることを教えてくれました。正直なところ、最初は半信半疑でした。音楽を聴いたり、歌ったりすることで、父の体が本当に動くようになるのだろうか、と疑問に思ったのです。しかし、現状を変えたいという一心で、私たちは音楽療法士の方に相談することにしました。
初めてのセッションの日、父は無表情のままで、少し不満そうな様子でした。音楽療法士の方は、そんな父の様子を察し、まずは父が好きだった昔の歌謡曲をいくつか流してくださいました。最初はただ聴いているだけでしたが、そのうち、父の口元がかすかに動き、メロディに合わせてうっすらと目を閉じる瞬間がありました。私たち家族にとっては、それだけでも大きな変化に見えました。
懐かしい音色が呼び覚ます力
セッションを重ねるごとに、少しずつ変化が現れ始めました。音楽療法士の方は、父の好きな曲だけでなく、リズムに合わせて簡単な手拍子を促したり、マラカスやタンバリンといった楽器を使ってみることを勧めたりしました。
最初はほとんど動かせなかった右手が、音楽に合わせてゆっくりと、ですが確かに動き始める瞬間を見た時は、涙が止まりませんでした。特に、若い頃にバンド活動をしていた父が好んで聴いていたジャズの曲を流すと、リズムに合わせて足元をトントンと叩くような仕草を見せたのです。音楽療法士の方も、「〇〇さん、リズムを感じていらっしゃいますね」と優しく声をかけてくださり、その言葉が父の心にも響いたようでした。
言葉数はまだ少なかったものの、お気に入りの曲が流れると、かすかに歌詞を口ずさんだり、表情が和らいだりするようになりました。リハビリの先生も、「音楽療法が、脳と体の連携を促し、運動機能の回復にも良い影響を与えているようです。特に意欲の向上が、リハビリへの取り組み姿勢を大きく変えましたね」とおっしゃってくださいました。
音楽がくれた新たな一歩と家族の笑顔
音楽療法を始めて半年が経った頃、父は驚くほどの変化を見せてくれました。
音楽療法士の方がキーボードで伴奏を始めると、父は右手でゆっくりとタンバリンを叩き、左手ではリズムを取るようになりました。以前は「もう動かない」と諦めていた右手に、再び動きが戻ってきたのです。さらに、セッション中に「この曲は〇〇だね」と、昔の思い出を交えながら、短いながらも自分の言葉で感想を話すことができるようになりました。
自宅でも、以前は無表情でぼんやりと過ごすことが多かったのですが、今では食卓で音楽を流すと、自然とリズムを取ったり、家族の会話に笑顔で相槌を打ったりするようになりました。諦めていた家庭菜園も、少しずつですが、自分の足で庭に出て、植木鉢の水をやるようになったのです。
何よりも嬉しかったのは、父の顔に以前のような明るい笑顔が戻ったことです。音楽を通して、父は再び「できること」を見つけ、生きる喜びを取り戻してくれたように感じています。私たち家族も、父の笑顔にどれだけ救われたか分かりません。音楽が、父と私たち家族の心を温かく繋ぎ直し、希望を与えてくれたのです。
同じ悩みを抱える方へ
音楽療法は、単に体を動かすリハビリテーションとは少し違うかもしれません。しかし、音楽が持つ「心を揺さぶる力」は、想像以上に深く、人の心や体に働きかけることができるのだと実感しています。
もし、ご家族の抱える課題に音楽療法が役立つか迷われている方がいらっしゃいましたら、まずは専門の音楽療法士の方に相談してみてはいかがでしょうか。私たち家族は、音楽がくれた新たな一歩と笑顔を胸に、これからも父と共に歩んでいきたいと思います。